Vol.9-4 渡辺ケイと巡るミレニアム紀行 リポート【DAY 3 後編】
4)グレイス・ファミリー
まだ涙目のジョージを筆頭に、女性陣は全員ディックの運転する車に乗り込み(男性陣はバスのままでした、ごめんなさい)念願のグレイス・ファミリーへと一路向かいます。畑を説明する時に米国ではエーカーを使いますが、漠然としていて大きさはつかみにくいものです。「ヘクタールでもよくはわからない」というメンバーでしたが、グレイスの敷地内、29号線に面した自宅前の畑はちょうど1エーカー。「あぁ、これを基準にしてこの40倍とか100倍を想像すればいいんだ」。
説明を聞いて喉のつかえが取れたようにすっきり納得の一行が最初に案内されたのは、邸地下にある大きなカーヴです。TVや雑誌でしか見たことのないその美しいカーヴが今、目の前に…!うっすら埃をかぶった1929年のシャプティエのシャルドネーやら、30年代のロマネ・コンティに60、70年代のカリフォルニアワイン…ごろごろしています。1本くらいもらっても絶対わからなさそう(笑)圧巻は6リッター、15リッターなど、グレイス・ファミリーを始めとするプレミアムワインの数々。仏像のペイントがほどこされたり、エッチングしてあったり、市場ではけしてお目にかかることの出来ないワインたちが何気なくおかれています。写真をバチバチ撮るのははばかられたので、ご紹介できないのが残念。
セラーの大きさのわりには極端に少ない「グレイス」のライブラリー・セレクションのコーナー。
設立時からの各ヴィンテージ、ほーんの少しずつしかありません。
今年90歳になるケイマスの創業者=チャーリー・ワグナーはディックにとってお父さんのような存在でした。1978年、果樹園だった1エーカーを葡萄畑に植え替えたディックは、初めての収穫を終え意見を彼にあおぎます。一口果実をかじったチャーリーは、間髪いれず叫びました。「こりゃ素晴らしい!全部引き取るよ。グレイス・ファミリーの単一畑として出そう。」
こうして78年にケイマスの単一畑、グレイス・ファミリーが誕生し、82年までの6年間、このスタイルがシリーズとして続きました。今では3,000人以上がウエィティング・リストに名を連ねるグレイス・ファミリー・ヴィンヤーズの第一歩でした。
その貴重な78年もわずか3本しか残っていません。VIVAの読者はその理由がもうおわかりですね。みんな子供達をサポートするために寄付してしまうから。「ワインはみんなでシェアするものだから。僕ひとりではとても出来ないサポートを、このワインたちとワインを愛する人、そして子供達の将来を真剣に考える人達が叶えてくれるんだ。」
子供達の話をする時のディックは、本当に少年のようです。
「ワイナリーが評価されたり有名になってくると、それを誇りに思い固執する人がいる。当たり前のことだ。僕も10年くらい前までそんな感じだった。そうじゃないって気づかせてくれたのは、普通の人達より努力をしなければ命をつなげない子供達だった。僕にとってのヒーロー、そして人生の師は、いつもまっすぐ前を見つめる子供たちの瞳。痛みと闘いながらも、小さな手のひらをいっぱいにひろげて明日を夢見る。その素直さに触れるたび、今までなにをしてきたんだろうって思った。自分の手で勝ち取ったと信じていた経済力や名声が、すごくちっぽけなものに感じた。きれいごとに聞こえるかい?それは…経験すればわかることだ。いや、経験しなければ気づかないことだな。
今はこのワイナリーと、それをとりまく全てのものがさずかりものだと心から思えるようになった。ワインを造っていたから、子供達と一緒に歩いてきたから、今日こうしてはるばる日本からの大切な友人を迎えることもできた。本当によく来てくれたね、みんな。ウエルカム トゥ グレイス・ファミリー」
ひんやりとしたワイナリーに場所を移し、10月に収穫したばかりのワインをグラスにそそぐディック。ワインはシェアするもの、とわかっていても…みなさん期待に胸がふくらむと同時に、ちょっと緊張気味。「2000年のヴィンテージは、ケイの手の匂いがついていて味がいつもよりいいかもしれないぜ。収穫を手伝ってくれた中で一番スローだったから」ディックがジョークをとばして笑いをさそいます。
「今年はいっぱいできたからね」笑うディックが自慢するバレルは、わずか12樽。ハイジ・バレットは、タンニンの扱いが非常に上手でエレガントな造りをするワインメーカーだから、きっと思ったよりずっとまろやかだったでしょう。エレガントさはグレイス・ファミリーの代名詞です。
ディックの意を汲んだ心優しきメンバーたちは、グレイス・ファミリー基金に寄付をしてくださいました。ありがとう、本当にありがとう。みんなの気持ちにうたれ、嬉しそうなディック。ベストヴィンテージといわれる「87年のエチケット」のポスターに名前とメッセージを入れて、ひとりひとりにプレゼントしてくれたのでした。
5)ラッド・エステート
業界が重用する「レストランワイン」誌で、2001年のワインメーカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれし鬼才デーヴィッド・レィミー。背が高くひげをたくわえ、がっちりした体躯からは想像ができないほど繊細でまろやかな、卓越したトップレベルのシャルドネーを造ることで有名な醸造家です。彼の造りだすワインには、誰もが納得する美学が感じられると信じている私。ナパでの最後の夜、カーヴの中に品良くセッティングされたテーブルと彼を囲んでの、なごやかかつ超ためになるディナーが始まりました。
デーヴィッドはUCデイヴィスで醸造学を修めた後、フランスに渡り『ペトリュウス』のセラーで働いていました。帰国後はシミ、マタンザス・クリーク、ドミナスなど名だたるワイナリーでワインメーカーとして活躍、現在はこの夜のディナー会場になっているラッド・エステートそして自身のブランドである五つ星に輝くレィミーセラーに専念しています。
知的で静かだけれど、ほとばしる情熱を感じさせるデーヴィッドの顔に見とれ、話を聞いていなかった私ですがツボはおさえましたゾ。
『ワインに含まれるタンニンの質と量の違い』
『ヴァラエタル別葡萄樹、植えるときの畑の選び方』
『畑のオーナーとの仲良し度で決まる、単一畑の葡萄ゲット法』
たとえば、カネロス地区のハイド・ヴィンヤードのシャルドネーを現在使っているのは、レィミー、キスラー、パッツ&ホールだけ。ハドソン・ヴィンヤードは同じくレィミー、キスラー、そしてマーカッシン。でもマーカッシンはハイドを失う運命にあるらしい…。
今回参加してくださったワインショップオーナーは、なんとお店の棚の6割がカリフォルニアで埋め尽くされ、客がフランスやイタリアものを手にすると「ちょっと!お客様!こちらにいいのが入ったんですよ~」と言いながら無理矢理カリフォルニアをすすめるほどのエライ人。その話を聞いたデーヴィッドの喜ぶまいことか。「なんて素晴らしい人なんだ!そういうショップばかりだといいねぇ(笑)ところで、Gさんのお店の品揃えは、どんな感じなのかな?」
「そうきたか…」
頼みの綱の、本物ワインショップオーナー夫妻や六本木にあるカリフォルニア・キュイジーンのお店=スパーゴのスタッフは、はるか遠くに座っていて楽しそうに談笑しています。「ど、どうしよう」
「うちのリストはほとんどフレンチが中心なので、これを機会にカリフォルニアにも力を入れるようにしますわ、オホホ」私は大切な黄金のしずくを思い切りふきだしそうになりながら、それでもにこにこ耐えました。あっぱれ、ジョージ!
あやしい地中海料理のマダムや眼の手術が得意そうなワインショップのオーナーに囲まれ、科学者がタンニンに関するシャープな質問をしてくれたことも手伝って「素晴らしいお客様をお迎えできて本当に今夜は最高!」上機嫌のデーヴィッド。美味しい料理に最高の蔵出しワイン、おそらくワインスクールの講師たちが「眼からうろこ」の講義を受けて、あっという間に時間がたっていきました。みんなでハグをかわしバレルの前で記念撮影をして、ナパ最後の夜をしめくくるにふさわしい素晴らしいひとときとなったのです。
「えーと明朝は、チェックアウトした状態でロビーに9時45分に集合!遅れないでくださいねっ!時間厳守ですッ!」この後、私のスイートルームでメンバー全員参加の宴会が開かれるとは夢にも思わず、最後の声をふりしぼった渡辺ケイでした。みなさん、まだまだ元気です。
※リポート内容は取材当時のものとなります