Prologue

アグスティーナ嬢とポール

タイミングがあわず再三会う機会を逃していた憧れのポール・ホッブス。ロバート・モンダヴィ、シミ、オーパス・ワン、ピーター・マイケルなどを経て自らのブランドを立ち上げたポールは、2004年度の「Most important winemaker in California」に選ばれその実力に拍車をかけた。ついに会うことがかなったのは暑い暑い夏のひざかりの午後。気温が35度まで上がり陽射しの強さに頭がかすみそうなほどのセバストポールで、愛娘のアグスティーナを伴い迎えてくれたポールは、想像していたよりずっと若々しい風貌だった。

Own label ; Paul Hobbs

ワイナリーに隣接した
エステート畑

11人兄弟の次男としてニューヨークに育ったポールは、幼少の頃よりいかにして自己を確立をせしめるか、ということを常に模索していたと言う。主張をしなければ家族の中でさえ埋もれてしまう感覚にしばしばとらわれていた。
歴史好きの父が旅先から持ち帰るワインが食卓に並び始めたのは1969年のことだった。
ワインメーカーを志すには恵まれた環境に身をおいていたポールだが、大学生になるまで本格的にワインを口にしたことはなかった。
インディアナ州のノートルダム大学に学ぶ彼は、卒業後メディカル・スクールをめざしていたのである。在学中に専攻していた植物学の教授から影響を受け、ワインに惹かれるようになった彼は、卒業後の進路をUCデイヴィスに変更したという経緯を持つ。

ワイナリーの裏手には
ホスピタリティスペースを建設中

実に鮮やかな方向転換である。メディカル・スクールに進み医者になることを信じていた母を落胆させる形となった優秀な次男坊。両親を含め13人という大家族の中で長年アイデンティティを探し求めたポール・ホッブスが、自身の名をボトルに刻み世に送り出すことに成功する。この時の決断がそのスタートラインとなった。

Single Vineyard

単一畑のワインを造ることは、ポールにとって「効しがたい挑戦」であり、こだわりの頂点を意味する。彼を惹きつけてやまないワイン造りのすべてが凝縮している。特定の区画からセレクトしたフルーツは品種ごとに異なる可能性を見極め、個々の畑が持つ「微妙なファクター」を表現しうるワイン造りに徹する。一度でもここに無常の喜びをみいだしたら後戻りなどできない、と笑うそのはしばみ色のまなざしは彼の造るワイン同様純粋そのものだ。

Vineyards

【Estate Vineyard 自社畑】
– Lindsay Vineyard
※1Russian River Valley, Sonoma County Pinot Noir
【Contract Vineyard 契約畑】
– Hyde Vineyard
Carneros, Napa Valley Pinot Noir and Cabernet Sauvignon
– Michael Black Vineyard
Coombsville, Napa Valley Merlot
– Beckstoffer – To Kalon Vineyard
Oakville, Napa Valley Cabernet Sauvignon
– Stagecoach Vineyard
Napa Valley Cabernet Sauvignon
– Richard Dinner Vineyard
Sonoma Mountain, Sonoma County Chardonnay
– Walker Station Vineyard
Green Valley, Russian River Valley, Sonoma County Chardonnay

Lindsay Vineyard

2002年から実質的な収穫を迎えたワイナリーに隣接するこのピノ・ノワール畑が「ポール・ホッブス・ワイナリー」の所有である。1998年に植えられた13.5エーカーのエリアは単一畑として独り立ちするにはさらに数年を要するが、将来的にはポジティヴ・セレクションの「キュヴェ・アグスティーナ」に使うフルーツも、この畑から出したいと目標を定めている。

ピノ・ノワールやカベルネ・ソーヴィニヨンといった黒ブドウは一般的に白ブドウより問題が多く栽培するのに苦労する、とは業界の常識だ。それは前者のほうが熱を吸収しフルーツそのものが非常に熱くなることが大きな理由のひとつとなる。暑い日に畑に立ち赤白双方のフルーツに触れてみれば、その違いが歴然としていることに驚かされる。1.6kmの長さを持つ有名なハイド・ヴィンヤードも例外ではない。湾に近い前列のほうが涼しく、後列になるに従い暑くなっている。

これまで超優良栽培農家からの選良のフルーツのみを使うことができたポールは、幸運なワインメーカーだったといえる。エステート所有に伴う責務は一気に増大した。このリンズィーから単一畑の名を冠したピノ・ノワールを誕生させるには、どれほどの労力を尽くさねばならないことだろう。ヴィンヤード・マネージャーとワインメーカーを兼務することがたやすくないことは、彼自身が誰よりも認識しているはずだ。 Lindsay Vineyardの名を冠したピノ・ノワールのリリースが待ち望まれる。

– Notes –
※1 Lindsay:発音はリンドセイではなく「リンズィー」

※リポート内容は取材当時のものとなります

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