コングスガード
シャルドネー&アリエッタ
<CH KONGSGAARD 2000 >
現ヴィンテージ

縮感の違いが顕著な果実から造られた逸品。ハニー、シトラス、洋ナシフレーヴァー。
美しくたった酸、口中いっぱいに広がる余韻の長さが卓越した傑作。
エチケットは聖書から由来するチェコスロバキヤのウッドカッター(伐採者)をモチーフに。
自然の寛大さのシンボル。生産量:950ケース

Turning Point

ニコニコ抜栓するジョン

1996年に綺羅星のごとく誕生したコングスガード。VIVAでも入荷と同時に一瞬にして完売する筆頭銘柄でした。
センセーショナルなデヴューで注目を集め、その実力は早くもスペクテーターの五つ星ワイナリーに昇格したことが実証しています。マーカッシン、キスラー、そしてこのコングスガード。シャルドネー御三家です。今では懐かしいTV番組=「料理の鉄人」ロブスター対決で坂井シェフをやぶったロン・シゲールのお店=チャールズ・ノブヒルでも別格扱いでした(前号でも言及しましたが、ジュリアン・セラーノが倍のお給料で『ピカソ』にヘッドハンティングされてから、ロンは『マサズ』に移りジュリアンの後釜に)。生産量の少なさとあいまって、今もっとも入手困難な銘柄のひとつです。
口中にいきいきと残る余韻は、このワインとの出会いを忘れ難いものにしてくれる清冽なシャルドネーを創り続けるジョン・コングスガードの素顔です。

約束の場所にたどりつくと、ジョンは背を丸め、長い腕をもてあますようにひじをテーブルの上にのせて、私をまっすぐにみつめていました。「やぁ、わかりにくかっただろう。迷った?」深くおだやかな微笑みは会う人を惹きつけます。ゆうに190cmはあろうかというほどの長身をかがめてハグをかわすと「なにから話したらいいのかな」ゆっくりした手つきでかたわらに置いてあったシャルドネーとアリエッタを抜栓しながら、彼の生い立ちをポツポツ話し始めてくれました。

オークション会場にて
背の高さが際立つジョン

五代に渡る農家で先祖は牧場経営をしていたこと。自身も「自然と共存しながらものを作り出す」農業をこよなく愛すること。農業と同じくらい音楽を愛し没頭していたこと…。
遠くを見つめるように、そして時には私の瞳をのぞきこむように自分の歴史をふりかえりながら語るジョン。
暮らしぶりは裕福だったことが言葉の端々からそこはかとなく伝わります。

子供の時から「大人になったら絶対にこういう仕事をして、こういう人間になるんだ!」と確固たる信念をもって行動する人間はほんのひとにぎりでしょう。ジョンも多くの青年がそうであったように、ハイスクールを出た後の道筋は定まらずにいました。さかのぼること1969年のナパ。ジョンが高校生だった頃はわずか「18」しか存在しなかったワイナリー。
いくら望んだところで経験も知識もない若きジョンが、ワイナリーでの仕事を得ることなどかなわぬ夢です。進学を決意したジョンはコロラド大学の音楽科へと人生の駒を進めました。チェンバー奏者として活躍するジョンが目指した先は音楽科の教授になること。

しかしジョンが半ば人生の進路を決めかけたこの間に、ナパにおけるルネッサンスの時代が到来します。彼が大学を卒業した4年後には、なんとワイナリーの数は「100」をかぞえるまでになっていました。故郷に帰ってきた彼の苦悩と葛藤が始まります。「このままミュージック・プロフェッサーを目指して邁進するか、やはり愛する故郷にとどまりワインメーカーとしての方向転換をするか」人生の大きな岐路にたったジョンのとった行動は「自分自身に時間を与え、ゆっくり考えること」でした。ジョンは1年かけて欧州を回る決意をします。イタリア、フランス、ドイツ、オーストリア…。
各地でシンフォニーを聴き、オペラを鑑賞しながらその土地のワインを飲みつくしました。ワインか音楽か。
趣味を追い求めるのではありません。男の生涯かけて生きる道を決める大きな分岐点です。期限を決めていた1年後の決意が今日のコングスガード=五つ星ワイナリーの座を確立するとは、まだ夢にも思わなかった23歳のジョン。地元のUCデイヴィスで醸造学、栽培学の修士課程に臨みます。

修士課程を修了した3年後、彼の就職先は「ニュートン」でした。ここでワインメーカーとしての実績を積み上げていったジョンが、というより雇われワインメーカーのほとんどがたどりつく目標はただひとつ。「自分のワインを造りたい」。自分が手塩にかけて栽培した、もしくは選定した果実を自らの手でワインにかえてゆく。そして出来上がったワインが多くの人から支持され、先を争うように求められる…。造り手にとって究極のアメリカン・ドリームです。

クラシカル・ミュージックが
流れるセラー内

1988年に米国内で初めてのアンフィルターワインを造るなど、時代を先取りしながらその豪腕をふるうジョンが念願かなってふたつの銘柄を立ちあげたのは1996年でした。シャルドネーひとすじのコングスガード、そしてメルロー・シラー・メリテージュを擁するアリエッタ。アリエッタのほうはあの名物オークショニエー=フリッツ・ハットンがパートナーです。
それまで13年間「ニュートン」のリザーヴに使われてきた果実は、ジョンのおじいちゃんが所有するナパの南西クームスヴィル(Coombsville)に位置する畑のものでした。冷涼な気候とヴォルカニック・ヒルが特徴です。このシャルドネーを思う存分に使い、ジョンがその粋を集めた腕と情熱で造り上げたのが冒頭に記した「コングスガード・シャルドネー」。デヴューと同時にスペクテーター96ポイントをつけ殿堂入りを果たしました。

ジョンは類まれな才をもちあわせています。ワインメーカーなら誰でも備えているわけではありません。
非常に特異なものなので、その話を聞いた他のワインメーカーは「そんな馬鹿な!」と一蹴してしまうような、しかし才に恵まれたジョンが現実に実行していることとは…?

Gifted

コングスガードの自宅は29号線から東にあがるスプリング・マウンテンの中腹にありますが、施設は29号線と並列するシルヴァラード・トレイルをずーっとカリストガに向かって北上した所に位置します。ダックホーンから1マイル(1.6km)ほど北に行ったあたり。シャトー・ボズウェルの場所をかりているのです。これまでワインメーキングを担ってきた「LIVINGSTON リヴィングストン」「HARRISON ハリソン」「LUNA ルナ」などから手を引くと同時に、自銘柄コングスガード&アリエッタもこの場所に移しました。(ちなみに「リヴィングストン」「ハリソン」で、ジョンの引継ぎをしたのは「カーディナル」のマルコ・ジュリオ)

セラーに入るとすかさずCDのスイッチを入れてベートーベンを流すあたり、音楽家としての横顔をのぞかせます。ジョンのワインはその効果を狙うものではないけれど、樽熟成している間いつもなんらかのクラシック音楽を聴いて瓶詰めの日を待つことになっているそうな。「アリエッタ」とはイタリア語で「小さいアリア(抒情的な独唱歌)」の意。「音楽とワイン造りは共通するところが多いんだ。音楽にもワイン造りにも、たくさんのヴァリエーションがある。それをどういうふうに表現していくかが腕の見せ所だし醍醐味でもあるからね」

ワインは農作物の賜物です。毎年変化する自然環境を反映しながら、その「自然がはなつ表現」を形にかえていくのがワインメーカー。毎年同じ品質でなくてはいけない、などという愚は考えない。その変化を年々のヴィンテージに表しつつ、しかし根幹を流れるものは「ジョン・コングスガードの造るワイン」だと理解してもらえる造りを心がけているといいます。

以前このメルマガでも言及しましたが、ピノやシャルドネーに適しているとされる冷涼なカネロス地区、実は狙い目はメルローです。このことにいち早く目をつけたのが、コングスガード。優良単一畑として名をはせる「ハドソン・ヴィンヤード」の樹齢20年強のHブロックを2ブロックもおさえています。フランは2.3エーカー、メルローは5エーカーに及ぶこの畑を10年の長きに渡り契約できたのは、ジョンとこの畑のオーナーであるリー・ハドソンがUCデイヴィスに一緒に通った仲間だったから、というだけではありません。

ジョンはこの地域で初めて「1エーカーあたり$xx」という契約を発案し実行した人物です。
それまでの形態は「1トンにつき$xx」つまり1エーカーあたりの収量が多いほど、葡萄栽培農家の実入りがよくなるというシステムです。いきおい、大量生産用に1エーカーで16トンなどという収量をたたき出すところもありました。されどブティックワイナリーのほとんどが1エーカーあたり2トン弱。たいてい[1 SPUR]に[2 SHOOTS」=1枝2芽とでも言いましょうか。(要するにここでは1本のブドウ樹には次のシーズンに実を付けるための芽が二つになるように剪定した状態)
ときには1枝1芽にして凝縮感を求めることもあるほどです。ワインの品質を追う醸造責任者と、生活のかかっている栽培農家の軋轢は想像に難くなし…。この衝突を払拭したのが、ジョンが実行した契約方法なのです。
 
「いいワインをつくるためには収量をおさえたい。でも払う金額は収量ベースだからね。」
余談ですが、ワイン造りに没頭するあまり、見方によっては「わがままで他人のことに思いが及ばない」ヘレン・ターリーの貫いた態度は、ハドソン畑の契約を失う結果を招きました。
(マーカッシンのハドソンEブロック、市場から消えることになるので見つけたらこれまでに輪をかけて貴重です)

樽試飲の時に用いられる
長いスポイト状の用具は
「Thief」と呼ばれる。
語源はワインを樽から
「盗む」ことから

ハドソン・ヴィンヤードに話を戻しましょう。地表から3m前後までアッシュカラーの軽い土質ながら、その下層に広がるのは火山灰&粘土質、ロッキーでミネラリーな土壌。水はけが良く、根が深くまで伸びるこのブロックに惚れ込むのは当然といえるでしょう。自己所有するものでなくとも、思うとおりにコントロールできるジョンが造り出す2000年の「アリエッタ」はフランとメルローの比が半々。市場には出回らない生産量300ケースのシラーはなんと$125ですが、コノシュアーによって瞬く間に完売となっている次第です。

ワインメーカーの中には、一冬中テイスティングしてブレンドを決める人もいるけれど、彼は「NATURE = 自然」を信じます。ナパで五代続いた農家で培われた本能というものでしょうか。ジョンが扱っている果実の熟成、メルローが早く、フランが遅いのが一般的です。「熟すタイミングが同時」という条件を大前提に、彼がその信念と己の才を持って挑むブレンディング方法とは?

【BLEND AT THE CRUSH】 = 【クラッシュ時にブレンドをする】
時おり、これを用いるボルドー生産者もいるというこの手法。私も初めて聞いたときは心から驚き、にわかには信じられなかったものです。しかし。僕にはわかる、と断言したジョン。「果実をかじった瞬間にブレンドしたほうがいいかどうかわかるんだ。普通のワインメーカーはワインを飲んでみてからブレンドするけどね。」収穫した果実をかじった瞬間にブレンドすべきか否か解かるとは、天から授かりし稀有な才能というほかに言葉がみつかりません。

すいこまれそうな、はしばみ色の瞳をまっすぐに向けて、私にそして自分にも言い聞かせるようにつぶやくジョンの言葉を素直に信じるほかに、あの瞬間術はあったでしょうか。
「僕にはそれがわかるんだ。」

Kongsgaard Winery 【The Judge】へつづく

※リポート内容は取材当時のものとなります

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